スキースクールを始めるきっかけのひとつ
2019.01.17
今シーズンでKFBSも4シーズン目を迎えましたが、実は4年前の私はスキースクールを始めるとは全く考えていませんでした。
6年前に現役生活を終え始めたのは、スキー業界を離れパン屋さんでの仕事。
大学時代の友人がパン屋を経営していることもあり、パン屋で働きながら経営について考える道を選んだ。
パン屋は小さなお店で質の高い高級パンの製造と販売をしていた。
社長を含めた技術の高い3人の職人だけがパンの成型をすることができる、そんなお店でした。
周りの人からは「なぜパン屋?」と聞かれたが、スキーは選手としてやりたいことであり選手以外でスキーを続けていくイメージはなかった。
もともとパンは食べるのが好きで、友人の店にもよく通っていたし、スタッフも顔見知りでとても礼儀正しい印象を持っていた。
しかし実際に働くとアンパンマンのジャムおじさん的な優しい人がパンを作っていると思っていたのが、まさに職人といった感じの世界で正直驚いたことを覚えている。
働くまでは社長のお友達という立場だったが、働いてからは新人スタッフの一人だから当然なことだが厳しく指導してもらった。
当時から感じていたが、私よりも年下でお店を回していたスタッフは社長の友達が働き始めてやりにくかっただろうと思う。
その状況で厳しく指導してくれたことを感謝している。
結果として私はパン屋をやらなかった。
それは朝早くから夜まで立ち仕事が続く環境で、すぐに辞めてしまうスタッフがいたことが理由の一つだ。
一人辞めると他の人に仕事のしわ寄せがいき更に一人辞めていく、そんな悪循環を目の当たりにした。
そんな状況になると私の友人である社長が厨房に現れる。
そして、悪い空気を吹き飛ばすかのように凄い勢いでパンを作り始める。
厨房の空気がみるみる変わって活気に満ちていく。
人手不足の時は社長自ら働き、新しいスタッフが入るまで誰よりも働いている姿を見せていた。
自分には人手不足の時にパン屋の空気を変えるほどの仕事をする力がないと思った時から自分の力を発揮できる場所を探し始めていた。
厳しい状況を自分の力で変えられるものは長年練習し続けてきたスキーしかなかった。
結果その2年後には少数精鋭のこだわりのパン屋の予定が少数精鋭のこだわりのスキースクールをスタートさせていた。
そしてパン屋にはスキー部が出来て私がコーチとなり西伸幸が所属して平昌オリンピックへ出場した。
附田