2013年コロラド
2020.06.23
そのシーズンはソチオリンピックのシーズンだった。
コロラドで行われた大会はワールドカップを参戦していない選手にとってオリンピックに出るチャンスを繋げる唯一の大会だった。
私がプライベートコーチとして指導していた選手もそのチャンスに賭けて参加した。
そんな選手の中に副校長の桑原もいた。
桑原とは彼が中学生の時に出会った。
エアの感覚に優れた天才肌であることは初めて会った時からすぐに気が付いたのを覚えている。
私が現役時代に所属していたチームに彼も所属していた事もあり、普段から一緒に練習する事も多く日本代表として同じワールドカップに参戦していた。
桑原は多くの関係者が 期待する才能ある選手だったと思う。
そんな選手がオリンピックシーズンにワールドカップではなく下部大会に参加の為にコロラドにいる。
私は複雑な思いがあった。
その4年前、私も桑原もバンクーバーオリンピックを目指しワールドカップの第1戦に出場する為に大会会場で合宿をしていた。
その時、桑原は私の見ている前で前十字靭帯を断裂した。
オリンピック出場をかけたシーズンに手術が必要となるレベルの怪我をした気持ちは想像するに難しくない。
受傷後、会話するのも申し訳なく感じていた。
私はバンクーバーオリンピックに出場し、その2年後に引退。
桑原は4年後のオリンピックを目指し現役を続けていた。
私としては桑原に4年後チャンスを掴んで欲しいと思っていた。
でもバンクーバーオリンピック前の怪我から4年後、桑原がいたのはワールドッカップではなく、ワールドカップの選考大会。
4年かけて怪我をする前のポジションまで戻れなかったことに辛い気持ちと、この僅かなチャンスを掴んで欲しいと思っていた。
私がコーチングした選手は実力を発揮しベストの滑りをしたが結果的には選考基準をクリアすることは出来なかった。
自力が足りなかったが内容的に素晴らしかったと思う。
桑原は本来の実力を発揮することが出来ていなかった。
大きなミスをしてしまった。
私は公式練習から桑原の滑りが気になってアドバイスしていた。
力になりたいという気持ちだったが、今思うと無責任だったと反省もしている。
現役時代に一緒に練習していた経験から彼の滑りの癖は解ってはいたが、その程度で大事な選考大会のコーチングが務まるはずがない。
もっと長い期間、指導していることが本来は必要なのだと今は思う。
結果として私の指導していた選手も桑原も選考基準をクリアすることが出来なかった。
私が指導していた選手は年齢が若かったこともあるがゴールエリアで泣いていた。
私は自分の実力を発揮できたわけだから胸を張るべきだと伝えた。
そのとき泣いている選手に優しく声をかけてきたのが桑原だった。
その姿に成長を感じ嬉しく感じたが、その夜に桑原からメールが届きこのシーズンでの引退を決めた事を知った。
ゴールでの彼の行動を見ていた事もあり引退は悲しく感じた。
スキー選手としての成功は大きな大会での勝利だと今も思う。
だが誰もが選手を引退する。
当時は考えもしなかったが、今はスキーに関わっていくことでの成功はもっと沢山あると考えて活動している。
その仲間に桑原がいることが心強く思う。
附田